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佐賀地方裁判所唐津支部 昭和45年(ワ)19号 判決 1977年11月08日

原告 中島つよし 外一名

被告 日本赤十字社

主文

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告ら

1、原告らが被告に対し、雇傭契約上の権利を有することを確認する。

2、被告は原告中島つよしに対し、金七万六、四七六円ならびに昭和四五年三月から本件口頭弁論終結時まで毎月一六日限り一か月金三万八、二三八円宛及び毎年八月一五日に金四万五、一〇〇円宛、毎年一二月末日に金六万二、二三一円宛を、原告倉光アサコに対し金九万一、三六二円ならびに昭和四五年三月から本件口頭弁論終結時まで毎月一六日限り一か月金四万五、六八一円宛、及び毎年八月一五日に金五万三、〇〇〇門宛、毎年一二月末日に金七万三、五九〇円宛をそれぞれ支拡え。

3、訴訟費用は被告の負担とする。

4、第二項につき仮執行の宣言。

二、被告

1、主文と同旨の判決。

2、原告らに仮執行の宣言があるときは、担保を条件とする仮執行免脱の宣言。

第二、原告らの請求の原因

一、被告は日本赤十字社法に基づく法人で、唐津赤十字病院(以下本件病院という。)を経営しているものであり、原告らは本件病院が設立された昭和三二年一〇月一五日に被告に雇傭された。原告中島つよし(以下原告中島という。)は庶務課下足係、看護婦助手、給食課配膳係として勤務後昭和四一年一〇月一日から看護助手(清掃、洗濯など担当)として、原告倉光アサコ(以下原告倉光という。)は看護部看護助手、給食部配膳係を繰かえし勤めた後、昭和四三年四月一日から配膳係として勤務していた。

二、原告らは昭和四四年一二月一日付書面で、本件病院から、やむを得ない事業上の都合により解雇する旨の通知を受けた。

三、右の通知による解雇(以下本件解雇という。)は次の理由により無効である。

(一)  本件解雇当時本件病院は被告の他の病院(例えば高山、長崎原爆病院、横浜、大森、大分の各病院)に比較して人員過剰でなく、従つて人員整理の必要性は存在しなかつた。公的医療機関である本件病院においては直接患者へのサービスに影響する人員整理は慎重でなければならぬ。

(二)  本件は病院が経営不振であつたのは、医師不足による受診患者の減少、綜合病院としての体制不備が原因であつて、経営者としては、経営不振を打開する方策を尽してからでなければ、労働者の解雇をしてはならないのに、被告においては、医師確保、綜合病院として体制確立等の方策をとり、原告らの解雇を避けるべき努力をすることなしに、直ちに本件解雇の措置に出たもので、かかる解雇は許されない。

(三)  本件病院は自然減によつて人員整理を実現する基本方針であつたので、整理に当つての確たる具体的な整理基準を示すことなく本件整理を行つたものである。

(四)  人員を削減する場合でも、希望退職の募集、配置転換など、解雇以外に人員整理の目的を達し得る方法を講ずべき信義則上の義務があるのに、本件病院は、右のような措置を講じることなく本件解雇を行つた。

(五)  本件病院は具体的な整理基準も設けず、整理完了の時期も定めずに、単に肩たたき程度の退職勧奨をした程度であり、本件病院にとつて人員整理の必要性はなかつた。人員整理をする場合には、整理しなければならない客観的、合理的な必要基準の定立、明示、実施が要求されるのであり、これを欠く本件病院の整理案は解雇を前提とするものではなかつた。ところが、あえて原告ら二人を含む四人に対し退職勧奨に応じない場合は解雇するという本件病院のやり方は労働協約上も就業規則上も定められていない定年制の実施を合理化に藉口して実現しようとするものである。

解雇の人選に当つては、通常非能率者、勤務成績不良者などの基準が用いられる。ところが本件病院は前記基準について全く検討することもなく、原告らを解雇したのは、解雇の基準に妥当性を欠くもので、従前から退職勧奨が行われていたことをもつて正当化できるものではない。退職勧奨はあくまでも任意退職を前提とするものであつて、他に合理的な基準を検討することなくなされた本件解雇は解雇権の乱用であり無効である。

(六)  本件病院においては、男子六〇歳、女子五五歳を超えた者に退職を求めているが、本件において五年の差を設けることを合理的ならしめる程、男女間の労働能力に差があるものとは認められない。原告らは自己の仕事を誠実につとめ、若い人に劣るようなことはなかつた。性別による差別待遇をする本件解雇は無効である。

(七)  原告らは全日本赤十字労働組合連合会に加盟している唐津赤十字病院従業員組合(以下日赤労組という。)の組合員であるところ、本件病院においては昭和三七年七月唐津赤十字病院新労働組合(以下新労という。)が結成されて以来、職場において日赤労組合員に対してさまざまな形の攻撃が加えられていたが、原告らに対する本件解雇は人員整理に藉口して日赤組合員である原告らを排除しようとした不当労働行為である。

(八)  本件解雇について本件病院は日赤労組と誠意ある協議を尽していない。人事委員会では退職勧奨に応じない者は解雇するという提案がなされ、それ以前の組合と病院の交渉のなかでは赤字が生じたから解雇するというだけで経理内容も明らかにされず、一方的に病院の解雇方針を固執して組合に無条件同意を求めるものにすぎなかつた。合理化の基本構想つまり被告が昭和四四年三月七日に作成したという合理化計画は明らかにされず、解雇基準も示されなかつた。そして人事委員会においても、原告らが退職勧奨を拓否した場合は解雇するという本件病院の提案は結論がでないまゝで本件解雇は行われたものであつて、解雇が被雇用者の生存に重大な脅威を与える可能性が生ずる限り、誠意ある協議を経て、労働者側を納得させるだけの努力をなさなかつた本件解雇は解雇権の乱用といわれるべきものである。

四、被告の従業員に対する賃金は、当月分の賃金が、毎月一六日に支払われることになつており、また別に夏季手当、期末手当が毎年遅くとも八月一五日及び一二月末日までに支払われている。そして本件解雇当時原告中島の賃金は月額三万八、二三八円、夏期手当は金四万五、一〇〇円、期末手当は金六万二、二三一円であり、原告倉光の賃金は月額金四万五、六八一円、夏期手当は金五万三、〇〇〇円、期末手当は金七万三、五九〇円である。これらの賃金及び夏期手当、期末手当は本件解雇が無効であるならば、原告らは当然被告に請求し得べきものであるにもかかわらず、被告は原告らに対して昭和四四年一二月分までの賃金を支払つて以後、一切の賃金を支払わない。被告が将来も賃金及び夏期手当、期末手当を原告らに支払わないことは明らかなので、原告らは各自被告に対し、昭和四五年一月から同年二月までの賃金合計それぞれ金七万六、四七六円、金九万一、三六二円および同年三月から本件口頭弁論終結時までの賃金、夏期手当、期末手当の支払を求める。

五、よつて原告らは、原告らが被告に対し雇傭契約上の権利を有することの確認と、前記賃金及び夏期手当、期末手当の支払を求める。

第三、請求原因に対する被告の答弁

一、請求原因一項、二項の各事実は認める。

二、同三項の本件解雇が無効であるとの主張はいずれも争う。

三、同四項の中賃金、夏期手当、期末手当の支払時期、原告らの解雇時の各賃金額、原告らの昭和四四年度の夏期手当、期末手当の額、並びに昭和四五年一月以降原告らに対し賃金の支払をしていないことはいずれも認めるが、その余は争う。

四、同五項は争う。

第四、被告の主張

一、本件病院は昭和三二年一〇月一五日開設された現在病床数二七〇床(ほかに伝染病床六〇床)の病院であるが、被告の経営する他の病院と同じく、独立採算制が取られており、人事についても課長以下の従業員の任免は院長に一任されている。

二、昭和四二年において、本件病院の経営は赤字を生ずるにいたり、その額は昭和四二年度金一、〇五四万円、昭和四三年度金二、七九四万円、昭和四四年四月一日から同年一二月末日までの期間に金四、六二二万円となり、本件病院は運転資金に窮するようになつた。

三、本件病院では昭和四〇年以降、従業員中男子六〇歳、女子五五歳を超えた者に対し退職を勧奨して退職せしめてきたが、昭和四四年三月末現在における従業員数は二二二名で、うち医療行為に直接関係のない部門(間接部門)に属する従業員は九五名であつて病院の規模よりみて、間接部門の従業員数が過剰であつた。前記のとおり経営が悪化し、経営を合理化する必要から昭和四四年三月はじめ本件病院としては間接部門の従業員中二五名を整理することを決定した。

四、本件病院では医師が不足していたので、その充足に努め、またテレビレントゲンを設置し、整形外科の診療棟を増築するなど、医療機械の整備、施設の改善を計り、さらにリハビリテーションの設備をする等して来院患者数の増加及び診療単価の引上げに努め、医業収入の増加を計ると共に、材料を安価に買入れるべく努力し経費を極力切りつめ支出の抑制をはかつてきた。しかしながら全国的に勤務医の不足した時期であること、本件病院の地理的条件が不利であること、本件病院の前身である唐津市立病院が結核専門病院として発足したものであつたが、治療法の進歩により結核患者が減少したこと、などの事情から収入の増大を計る事は困難であつた。本件病院の経営不振は一時的な医師不足などという単純な理由によるものではない一方人件費を節減するにしても患者を預る病院としては医療行為に直接関係ある部門を整理することは避けねばならないので、余剰の目立つ間接部門の従業員を整理することは止むを得なかつた。

五、間接部門の各職種について慎重に所要人員を計算し、余剰とみるべき二五名を整理することとしたが、整理の方法としては指名解雇はできる限りさけ、自発的退職にまつ事とし(昭和四四年三月以降同年一二月末日までに間接部門での自然減員は一〇名であつた。)、原告らはいずれも間接部門の従業員であつて、原告中島は大正二年六月四日生、原告倉光は大正二年七月二三日生であり、前記従前からの退職勧奨基準に該当するので、本件病院は昭和四四年三月から原告ら二名及び他の基準該当者二名に対し退職を勧奨した。本件病院においては経営者が窮乏の極に達していたため、通常取られている退職加算金を支給する条件で希望退職を募る方法によることができないので、退職してくれる可能性のある従業員に対し個々に病院の実情を説明して加算金なしで退職してくれるよう説得した。殊に原告ら四名に対しては、高齢者退職の慣行がようやく確立されつつあつた本件解雇当時、これに該当する原告らの退職がないときは、他の従業員に病院経営の危機を説いて退職を求めてもその効果を得られなくなる事情にあつたものである。本件病院は原告らに出来る限り自発的に退職して貰うために、原告ら及び原告らの所属する労働組合に対し前記事情を説明し、かつ退職後の原告らの生活及び厚生年金保険法に基く老齢年金の受給資格を考慮し、臨時雇として再雇傭すべき事も提示して八ケ月以上にわたり交渉を重ね、原告の他の二名の該当者は同年一一月末退職の意思を表示したが、原告らはあくまで退職しようとしなかつたので、本件病院はやむなく同年一二月一日原告らに対し、同病院就業規則五四条に定めるところによりやむを得ない事業上の都合により同年一二月末日限り解雇する旨を通告したものである。以上の通り原告らを解雇したのは合理的理由があるので、権利の乱用ではなく、もとより有効である。

六、原告らは請求原因三項の(一)において、高山、長崎原爆病院、横浜、大森、大分の各日赤病院と対比し職員数を論じているが、本件病院が有していた伝染病棟六〇床は殆んど使用されていないのであり、これを除外すると、本件病院と前記各病院は病床数において同等の規模ではないし、大森、横浜、大分の各病院は大都市のメデイカルセンターであつて診療単価が高く、長崎原爆病院はその特殊性により膨大な赤字を常時国または地方公共団体からの援助によつて補填してきているのであるから、本件病院と比較の対象になるものではない。本件病院は他の赤十字病院或いは国立病院に比し病床数に対する従業員の数が過大であつた。国立病院においては、借入金の利息を損金に計上しないなど赤十字病院に比し損益計算上有利な立場にあるのにかかわらず本件病院と同程度の病床数、入通院患者を有する九州地区の国立病院はいずれも赤字であるが、これらの病院すら本件病院より従業員数は少い。

七、病院を健全に経営するには人件費は医業収入の四五%以下でなければならないとされているが、本件病院では四三年度四八・八%、四四年度五五・八%に上つている。医療費改訂、患者増加などによる収入増加見込と、ベースアップなどによる人件費の増加傾向とを比べるとき、前記比率はさらに大きくなるおそれがあつた。

八、原告らは請求原因三項の(六)において、性別による差別待遇であると主張するが、原告らの職種はいずれも所謂単純労働であつて、その作業は短期間に習得でき、年月の経過と共に大きく熟練の度を加えてゆく性質のものではない。他方病院は年功序列式の賃金体系をとつているのであるから、提供される労働と支払われる賃金は年月の経過と共に次第にバランスを失つて行くのである。原告らの職種は多分に肉体労働を必要とするものであるところ、もともと女子は骨格、筋力、肺活量、赤血球数、血色素量、反応時間等よりみて、その体力は男子に比し著しく劣るものであり、その差は加齢によつて縮まることはない。普通刺激に対する反応時間、骨組織等はむしろ女子の方が加齢による影響が大である。かくて女子の五五歳の生理的機能は男子の七〇歳に匹敵するとされている。病院では男女による賃金の差別はないのであるから、単純労働に従事する女子が五五歳ともなれば、男子五五歳の場合はもとより六〇歳の場合よりもさらに賃金の労働力のバランスは大きく崩れることになるが、本件病院においては前記のように崩れたバランスを配転によつて回復さすに足る職種はない。本件病院が従来とつてきた男子六〇歳以上、女子五五歳以上の高齢者に対する退職勧奨が大きな異論なく受け入れられてきたについては、該当する女子がいずれも原告らと同じく単純な肉体労働に従事する者であつたことが預つている(厚生年金保険法においても、一般に老齢年金を受給し得るものは男子六〇歳以上、女子五五歳以上とされている。)。赤字に悩む病院が人員整理のため解雇基準を設定するについては、賃金に比し提供される労働の少いものを選択するのはやむを得ないところであり、被告が設けた解雇基準については合理的理由があつた。

九、原告らは請求原因三項の(七)において、不当労働行為を主張するが、原告らは日赤組合員ではあるが、特に組合活動家というわけではなく、本件人員整理に当り、本件病院が指名して退職を求めた高齢者は四名であり、原告ら二名の他の二名は新労に所属していた従業員であつて、本件解雇は原告らが日赤組合に所属していたために解雇したのではないから不当労働行為にはあたらない。

第五、被告の主張に対する原告らの認否

被告の各主張事実はいずれも争う。

第六、証拠<省略>

理由

一、請求原因一項及び同二項の事実は当事者間に争いがない。

二、昭和四四年一二月一日当時本件病院は経営が悪化し、人員整理をすることが事実上やむを得なかつたかどうかについて検討する。証人小川大策の証言により成立を認めることができる乙第四号証(損益計算書)、第七ないし第一一号証(合計残高試算表)、証人成富喜次郎、同黒坂司の各証言により成立を認めることができる乙第五号証(唐津赤十字病院の経営改善についてと題する書面)、証人菅野満喜(第二回)の証言により成立を認めることができる乙第三三号証(年次別収支一覧表)、第三四号証(開設以来の年次別損益一覧表)、第三五号証(職員数推移表)、第三六号証(職員一人一日当り患者取扱数調)、第三七号証(国立病院職員一人一日当り患者取扱数調)、第四〇号証(病院経営診断報告書)、第四六号証(結核病床及入院患者数調)と証人成富喜次郎、同小川大策、同黒坂司、同松浦進(第一回ないし第三回)、同菅野満喜(第一、第二回)、同勝田京一の各証言を総合すると、

(一)  本件病院は昭和二八年一二月に唐津市が結核二一四床、一般四六床、合計二六〇床の結核を主とした内科、小児科、外科の三科で開設した唐津市立病院を昭和三二年一〇月に被告が唐津市から引き継いで、唐津赤十字病院として日本赤十字社医療施設特別会計規則(乙第二四号証)の定めに従つて管理運営してきたものであり、昭和三二年一二月産婦人科新設、同三三年一〇月耳鼻咽喉科新設、同三四年一一月整形外科新設、同三五年七月唐津市伝染病棟(三〇床)併設、同三六年一一月眼科新設、同四二年四月佐賀県東松浦郡伝染病棟(三〇床)を併設し、同四四年七月にいたつて結核病床の一部を一般病床に切換えて、一般病床二〇〇床、結核七〇床に改めた病院であるところ、診療圏の人口減少、近隣医療施設の増加、薬価基準の引下等の事情により昭和四二年度から経営が悪化しはじめ、昭和四四年二月被告本社衛生部の黒坂司医務課長と衛生部長が相いついで本件病院の実地調査を行つた結果、昭和四一年度までは収支差益を計上していた本件病院が、昭和四二年度において金一、〇五四万四、七〇二円の収支差損となり、昭和四三年度においても金二、三五八万円余の赤字見込となることから、本件病院における経営改善の必要が明らかとなつたものである。(昭和四三年度収支の確定数は金二、七九二万、三、七八二円の差損であつた。)

(二)  本件病院管理当局(院長、副院長、部長ら)は前記黒坂司医務課長らから本件病院の経営改善の必要性を指摘され、(正式書面は昭和四四年六月一七日付日本赤十字社副社長から同社佐賀県支部長宛唐津赤十字病院の経営改善についてと題する書面でなされた。)昭和四四年三月以降の収入の増加と経費の節減の諸対策を検討し、その一環として、人事の合理化計画を策定した(乙第二八号証)。その内容は昭和四四年三月末現在における従業員二二二名のうち医療行為に直接関係のない間接部門に属する従業員が九五名であることは本件病院の規模からみて間接部門の従業員が過剰であるので、この間接部門の従業員中二五名を整理しようとするものであつた。

(三)  そこで本件病院は昭和四四年三月一〇日頃、田中貢院長名で男子六〇歳以上、女子五五歳以上の従業員を対象に、申込期限を同月二〇日までとする退職勧奨(俸給、役付手当及び扶養手当の月額合計額の四ケ月分を特別退職金として給付する条件)を公表し、自主的退職者を募つたが、応募を申し出る者がなかつた。

(四)  同年一〇月一六日、訴外勝田京一が国立小倉病院内科医長兼がんセンター部長を退任して本件病院の院長に就任し、前院長の策定した経営改善の方策を踏襲し、各種の努力を重ねたが、同年四月以降も収支の差損が累積し(同年四月一日から同年一二月末日までの額は金四、六二二万円、昭和四五年三月までの昭和四四年度分は金四、八三一万七、三五四円に達した。)本件病院は運転資金にも窮するようになり、買掛金の延払等により一時をしのいでいたが、このまゝ推移すると、本件病院の存続もあやぶまれるにいたつた。

以上の各事実が認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。当時の本件病院の規模において、間接部門の従業員が過剰であつたか否かについて検討するに、前記菅野証言により成立を認めることができる乙第二一号証(病床及び職員数調査表)、乙第二九号証、第三五号証(職員数推移表)、第三六号証(唐津赤十字病院職員一人一日当り患者取扱数調)、第三七号証(国立病院職員一人一日当り患者取扱数調)と前記各証言によれば、昭和四四年三月当時において、本件病院は九州各地の国立病院(中津、鹿児島、都城、久留米、佐賀、嬉野)に比較して、病床数、患者数の割に従業員数が大であり、かつ、従業員中においても間接部門に属する従業員の比率が大であつたことが認められ、右の事実と前段認定の経営の差損の事実を考え併せると、当時の本件病院においては間接部門の人員整理をすることは事業上やむを得なかつたものと認めるのが相当である。原告は請求原因三の(一)において高山、長崎原爆病院、横浜、大森、大分の各日赤病院に比較して本件病院は人員過剰でなかつたと主張するが、前記各病院と本件病院においては被告がその主張六において主張のとおりの事実があることが認められ、右の事実に照すと、従業員の人数について前記各病院と本件病院を比較することは相当でないこと明らかである。証人江頭イツ子、同本島成子、同太田久米子、同三浦信子はいずれも、本件病院における看護婦、看護助手、給食係の業務の多忙さを証言するが、右証言も前記認定を左右するに足るものでなく、他に右認定をくつがえすに足る証拠は存在しない。

三、本件病院の医師不足を解消し、もつて経営を改善することの努力と本件解雇の関連について検討するに、前記菅野証言により成立を認めることができる乙第四二号証(昭和四四年四五年内科医師の推移)によれば、本件病院の内科医師は昭和四三年七月末一名の退職により二名となり、同年一〇月から二名就任したものの四四年一月には右二名は退職し、同年三月さらに一名退職して一名のみの在勤となつたが、同年四月半ばにおいて一名、同年六、七、八月において各一名づつの新任を迎え、九月末一名退職したものの、同年一〇月一名新任し、以後引続き五名以上の勤務者があつたことが認められ、右によると、昭和四三年八月以後内科医師の不足した時期のあつたことは認められるが、前記乙第三五号証、証人塩治一彦の証言により成立を認めることができる甲第九号証(唐津赤十字病院経営の資科、右資料における医師数には非常勤医師数も含むものと解される。)により認めることができる本件病院医師数の推移と、前記各証拠により認めることができる本件病院の収入支出の推移を併せ考えると、前記内科医師の不足以前から本件病院の経営不振は生じていることが認められ、従つて経営不振の要因は医師不足以外の事情を原因とする患者の減少、薬価基準の引下等に存することが推認されること、一方本件病院の医師獲得には種々の困難のあつたことは前記勝田証言、松浦証言から推認することができるのであり、以上の事情を総合すると、被告において医師確保の努力を尽したにしても、本件病院の経営が、人員整理を要せぬ程にすみやかに改善することの期待があつたとはとうてい考えられないので、原告らが請求原因三の(二)において主張することのうち、医師不足に対する対策の努力欠如に関する部分は採用できない。

四、人員整理の方針決定から本件解雇通知までの経過を検討するに、証人松浦進の証言(第一回)により成立を認めることができる乙第三号証(老齢者退職実績表)、同証言(第三回)により成立を認めることができる乙第五五号証(高齢者退職調査表)、菅野証言により成立を認めることのできる乙第二八号証(合理化計画について)、第四一号証(退職勧奨について)、第四五号証(山口赤十字病院宛照会と回答)と前記小川証言、松浦証言、菅野証言、勝田証言ならびに前段認定の事実によれば、

(一)  昭和四四年二月、被告本社医務課長らによる本件病院の経営診断の結果経営改善の必要の指摘を受けた本件病院においては、庶務課長をして各部の責任者の意見を斟酌して従業員の人員削減案を作成させ、同年三月一日企業合理化計画(乙第二八号証)を作成した。右計画は看護助手Aの現数七を六に、看護助手Bの現数一二を八に、給食課配膳労務員の現数一〇を八にそれぞれ改めるものであつた。

(二)  本件病院においては昭和四〇年から男子六〇歳、女子五五歳を超えた従業員は退職を勧奨して退職せしめることとし、昭和四〇年四月一〇日これに該当する男子四名、女子三名、昭和四三年三月三一日五五歳を超えた女子三名の退職があつたが、前記(一)の計画実施に当つても、従前の基準に従つて昭和四四年三月一〇日該当者である原告ら二名(原告中島は大正二年六月四日生、原告倉光は大正二年七月二三日生)と他の男子従業員二名に対し退職を勧奨し、同時に日赤組合及び新労に対し退職勧奨についてと題する書面(乙第四一号証)で通知した。

(三)  右申込期限である同年三月二〇日までには右該当者の誰からも退職の申込がなく、そのため本件病院管理当局は、その後は右該当者ならびに退職の可能性があると思われる他の従業員に対し本件病院の経理の窮状、人員整理の必要についての理解を求め、自発的退職のなされるよう個別的交渉ならびに日赤組合及び新労との各団体交渉を行つた。本件病院としては、従業員のため急激な手段をさけ、新規採用を取りやめ、自然減員により整理の実をあげることとした。

(四)  六〇歳を超えた男子従業員及び五五歳を超えた女子従業員に対しては、高齢者退職の慣行がようやく確立されつつあつた当時、これに該当する者の退職がないときは、他の従業員に対して病院経営の危機を説いて退職を求めても、その効果が得られなくなる事情にあることを説明し、かつ当時厚生年金保険法に基く老齢年金の受給資格に達していなかつた原告らに対しては、原告らの退職後臨時雇として再雇傭すべき事も提示して交渉を続けたが、同年一一月末日にいたつても、原告らから退職の意思は表示されなかつた(六〇歳を超えた男子従業員二名からは同日までに退職の意思表示があつた。)。この間原告らの所属する日赤労組との間においては二二、三回、前記男子該当者の所属する新労との間においては一五、六回の団体交渉が行われ、本件病院当局者は右の事情を説明し、協力を求めた。

(五)  同年一一月二八日本件病院で開かれた人事委員会において、前記高齢者退職基準該当者で同日までに退職の意思を表示していない四名について、事業上の都合によりこれを解雇する案を審議し、出席した委員六名の意見が賛否同数であり、委員長である病院長が提案の趣旨によつてやつていくと決定した。

(六)  右の人事委員会審議後念のため行われた説得により同月三〇日前記六〇歳を超えた男子従業員二名から退職の意思表示があり、原告ら二名はこの説得にも応じなかつたことから、同年一二月一日被告において原告らの人事権を有していた本件病院長は原告ら二名に対し事業上の都合を理由とし、同月末日限りで解雇する旨の本件解雇通知を発した。

以上の事実が認められ、証人市丸陽の証言及び原告ら本人各尋問の結果中右認定に反する部分は前記各証拠に照し措信できず他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。原告らは本件解雇は、確たる具体的整理基準を示すことなく、かつ希望退職の募集、配置転換など解雇以下の方法を講ずることなく、労働協約上も就業規則上も定められていない定年制を実施したものであり、解雇の基準は妥当性を欠いていたと主張するが、本件病院の立地条件、設立の沿革と客観的環境の変化により生じた経営上の不利に基いて本件病院の経営が悪化していた事実は前段認定のとおりであり、配置転換の余地のない原告らについて本件解雇にいたるまでなした被告側の措置が前段認定のとおりであつて、合理化案作成後八か月余の日時をおいて検討を重ねつつ本件解雇にいたつた経過に徴すると、本件解雇には、これを無効としなければならないほどの原告ら主張のような瑕疵を認めることはできない。

五、原告らは本件病院において男子六〇歳、女子五五歳を超えた者に退職を求めているのは、性別による差別待遇であり、本件解雇は無効であると主張するが、成立に争いのない乙第四八号証(骨組織の加齢に関する研究)、第五〇号証の一、二(筋力の性差について)、第五一号証(血液学における加齢の問題)、第五二号証(加齢による視覚単純反応時間の変化)、第五四号証(女子の定年制)、第五七号証の一、二(日本人の体力)によると、女子は骨格、筋力、赤血球数、血色素量、反応時間等からみてその体力は男子に比して劣つており、二五種の生理的機能検査の結果を平均値で年齢毎に表わすと、女子は五〇歳から五五歳までの間において生理的機能が著しく低下し、五五歳の女子の機能は七〇歳以上の男子のそれにほぼ等しいものとされていることが認められる。右の事実と本件病院における原告らの職種は所謂単純労働であつて、その作業は短期間に習得でき、年月の経過と共に熟練の度を加えてゆく性質のものでないこと、本件病院においては年功序列式の賃金体系をとつているので、提供される労働と支払われる賃金は年月の経過と共に次第にバランスを失つて行くことを併せ考えると、本件解雇の際の整理基準は本件病院の実情に照し合理性があると解するのが相当であり(山口赤十字病院における昭和四四年度退職勧奨による退職者も同じ基準であつたことは乙第四五号証の一、二により推認できる。)、従つて男女差別は公序良俗に反するから本件解雇は無効であるとする原告らの主張は採用しない。

六、原告らは本件解雇は日赤組合員である原告らを排除しようとした不当労働行為であると主張する。原告らが日赤組合員であることは当事者間に争いがなく、前記市丸証言によれば、昭和三七年ごろ本件病院に所謂新労が結成され、当時日赤労組に所属する従業員に対し組合脱退の働きかけが行われ、日赤労組員が激減した事実は認めることができるが、原告らが組合活動家であつたことを認めるに足る証拠も、被告が原告らを組合活動家と目していた事実を認めるに足る証拠もなく、かつ、前記認定のとおり、原告ら二名と共に高齢者として退職勧奨を受けた二名の男子従業員がいずれも新労所属であつたことに徴すると、本件解雇は所属組合によつて差別することなく行われたものと認めるのが相当であり、従つて不当労働行為であるとする原告らの主張は採用しない。

七、原告らは本件解雇は解雇権の乱用であり、信義則違反であると主張するが、被告が赤十字奉仕の精神を基本とする公的医療機関であることを考慮しても、前段認定の事実と経過によつて行われた本件解雇は原告ら主張の事情あるの故をもつて解雇権の乱用、信義則違反というに該らないので、この点の原告らの主張も採用できない。

八、そうすると、有効になされた解雇通知により、予告期間の経過した昭和四四年一二月末日かぎり原告らは被告との間の雇傭契約上の権利を失つたものであり、従つてその権利の存在を前提とする原告らの被告に対する本訴請求はいずれも理由がないことに帰し、棄却をまぬがれない。よつて訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 境野剛)

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